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勇気の灯

アドラー心理学を教育現場に生かすための方策

勇気づけ②-勇気づけの土壌づくり-

勇気づけの記事第二弾。

前回は、子どもが自立するために勇気づけがいいよというお話でした。

なぜ勇気づけについて詳しく書いているかというと、勇気づけが、私の理想とする教師像「子どもの幸せを応援する教師」に必要不可欠だからです。

自立(自分のエンジンで動ける)できたら、幸せをつかむために動き始めることができますからね。子どもが自立できるようにはたらきかけ続けていきたいです。

なので、日々の省察は主に勇気づけができたかどうか(子どもが勇気づいたかどうか)という内容になってきます。

だからこそ、まずは勇気づけについて詳しく書いておこうと思ったんです。

自分のアウトプットも兼ねて。

 

前置きが長くなりましたが…

勇気づけの技法に入っていきたいと思います。

しかし、世の中には「何を言うかよりも誰が言うかが大切」という言葉があります。

勇気づけにもまさしくそれが当てはまります。

そのため、今回は勇気づけの土壌づくりについて説明していきます。

 

勇気づけの土壌…。それはズバリ

相互尊敬、相互信頼です。

尊敬とは、<相手も自分と同じように尊厳がある>という態度。

※子どもが相手でも上下関係になるのではなく、対等な関係だと考える。

信頼とは、<無条件に信じる>こと。

※「あの子がもう少し素直だったら」「もう少し静かにしてくれれば」というような考えはNGです。「タラ」「レバ」がある限り信頼はできていません。

えー!そんなこと言っても…。と感じることもあるかと思います。実際私も現場でよく「タラ」「レバ」を耳にします。

しかし、信頼するということは、相手の良い面も悪い面も知った上で、良い面を信じ続けることです。相手の「行動」の好ましくない点を発見したとしても、相手の「人格」を否定しない態度です。

 

これだけ聞くと聖職者にでも聞こえるかもしれません。

でもですね、この考えをもつと、自分が救われます。

暴れまわり、授業の妨害ばかり繰り返すようなやんちゃ君がいたとして、上記の考えがなければ「あの子さえいなければうまくいくのに…」という考えがよぎるかと思います。

しかし、上記の考えがあれば「あの子はこういう悪い面がある。でもその時のその場の行動が悪いだけであって、あの子自身が悪い子だというわけではない。」となります。

 

子どもを嫌う前に、自分の考え方を変える。

子どもに変わってもらうのではなく、まずは自分の考え方から変える。

大事なことじゃないかなと思います。

 

そもそも、「あの子さえいなければ…」というような「タラ」「レバ」の考えは相手に伝わります。そのような感情を抱いている人の言葉に、子どもが素直に耳を傾けるでしょうか。

子どもをどうしても命令で管理したいんだ!という人ならともかく、信頼で導きたいのならば、この考えをもつ覚悟が必要だと思います。

 

そして、相互尊敬相互信頼の「相互」ですが、大切なことがあります。

「互いに」ということは、自分と相手がお互いに尊敬し合い、信頼し合うということです。

人の心は鏡と同じで、自分のしたことや抱いている感情が自分に返ってきます。

なので、「こちらから」尊敬、信頼することが大切になります。

 

ポイントは

こちらがより早く尊敬、信頼する

こちらがより多く尊敬、信頼する

です。

 

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勇気づけの技法以前の、考え方のお話でした。

次回のブログでは、勇気づけの技術について述べていきたいと思います。

勇気づけ①ー勇気づけって何?ー

アドラーは、教育の目標を以下の2つで表しています。

①「自分を知ること」

「自分で自分を方向づけること」

 

自分を知ることで、<自分の役割>を見つけます。

方向づけるとは、<自分の在り方>を決定していくことです。

教育を通じて、自分にできることは何か、自分はどう生きていくのかということを考えていくことになります。

 

すると、教育で大切なのは、やはり「子どもの自立」にたどりつくかと思います。

自立とは、自分のエンジンで動くことですね。

 

アドラー心理学の勇気とは、この自立のために必要なやる気のことです。

人は、それぞれに対して、決断し、答えを出しながら人生を歩んでいます。

言い換えると、

人は、課題(困難)を克服し、解決しながら人生を歩んでいます。

 

勇気づけとは、

他者に、困難を克服するための活力をもたせるはたらきかけです。

 

とはいうものの、具体的にはどうすればいいのでしょうか。

この次の記事に続きを書きたいと思います。

 

教師の十ヶ条

「『自分にとって必要な十ヶ条』を書けば、自分がどんな人間か見えてくる」

私の大好きな松岡修造さんの言葉です(著書『本気になればすべてが変わる』)。

 

修造さんは日記に書き、毎日十カ条を見ては「大丈夫!」「できる!」と言い聞かせていたそうです。

そこで私も、大好きな修造さんを真似て、自分に足りないところ、もっと伸ばしたいところを書き出した『教師の十ヶ条』を新学期前に書き出していました。

 

それがこれです。

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とくに意識したいのは、一と二ですね。

自分から、より早く!より多く!たくさんの愛と信頼・尊敬・感謝を伝えていきたいと思っています。

しかし、これがなかなかむずかしい!

些細なことに対してイラっとした感情が顔を覗かせます。

実際顔を出すだけならまだしも、言葉に出してしまうこともあります。

これは問題ですよね。

 

アドラー流に言うと、怒りという感情は「自分の思い通りに相手を動かす」という目的をもったものになります。

つまり、「子どもを思い通りにするために怒る」。

これで上手くいくんでしょうか。

たしかに上手くいく場合もあるかもしれません。

…その場では。

 

しかし、子どもの将来を見据えたとき、先生に怒られたからやめた。

先生に怒られたからいうことを聞いた。先生に怒られたから…。

こういう風に育ってはほしくないんです。

だって、こういう子は先生がいない場では同じように繰り返しますから。

 

そうではなく、愛をもって「君には素敵なところがある。先生分かってるよ。」というのを伝えた上で、「この行為はよくない」と伝えてあげる。

そして、その子を信頼して「もう○○くんはやらないと思う。先生はそう信じとる。だって○○くんは□□のときみたいに優しいとこたくさんあるから」と伝えてあげる。

もちろん、その子のいいところは、その子を尊敬して(教師より下の存在として見るのではなく、自分と対等な存在として見る)いないと見つけることはできません。

そして、指導を守ってくれていたら「○○くんありがとう。先生すごくうれしいわ」と感謝を伝える。

こういった指導をしたいものです。

 

「怒る」と「叱る」は違うという話はよくあがりますね。

愛がなくて自分本位なのが「怒る」

愛があって相手を思いやっているのが「叱る」

まさにその通りだと思います。

 

私はまだまだ「怒って」しまうことがあります。

日々反省です。

このブログの目的

 このブログの目的は、私自身の自己省察です。

日々の実践がどうであるかを振り返っていきたいと思います。

その記事内容が読者の方々の目に留まり、

何らかの意義を生み出すことができたら幸いです。

 

さて、何に対して省察するのかというと、

私の理想の教師像である【子どもの幸せを応援する教師】に相応しい行動ができているかについて。

 

子どもを幸せにする教師ではありません。

子どもの幸せを応援する教師です。

ここ大事。なんといっても、幸せをつかむのは子ども自身の力ですから。

私の役目は、子どもが自分の力で幸せを掴める力をつけてあげること。

そして、ひたすら応援し、勇気づけていくことです。

 

子どもには、ひとりひとり力があります。

ただそれに、気づいていないだけ。

私は勇気づけを通して、子どもたちに、幸せになる勇気を与えていきたいと思います。

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