勇気の灯

教育、アドラー、読書レビュー。自分も他人も勇気づける。

暖かな心

給食の食缶には最後、余った給食を入れますよね?

私のいる学校では、自分の食器を少量の水で洗い、その洗った水を食缶に捨てることになっています。

ある日、子供が食缶に溜まっている水を見ながら、こんなことを言いました。

 

「先生、チアシードが浮いてるよ」

 

 

え?!チアシード?!

たしかに、確かめてみるとチアシードが入っていました。チアシードなんて給食に入っているはずがありません。

不思議に思っていると、子供が「Aさんは水筒にチアシードを入れて持ってきているんだよ」と言いました。

Aさんを呼んで確かめてみると、本当に水筒にチアシードを入れてきていました。

Aさんに理由を尋ねると「おなかがすいてしまって、授業中とかになるのが恥ずかしいから、チアシードを入れている」とのこと。おうちの人の発案でした。

 

しかし、学校には基本的にお茶以外は持ってきてはいけないことになっています。

私への相談もなかったし…、うーん。

教頭先生や保険の先生と相談をしてから、おうちの人と連絡をとることにしました。

 

伝えようとしていた内容は、

・おなかがなることは健康的な証。恥ずかしいことではない。

・おなかがすかない朝食の工夫。

ということでした。アシードをやめること前提です。

 

しかし、電話をする前にたまたま校長先生と出会い、この内容の話になりました。

すると、

 

「先生、まずはその子の気持ちを受け止めないと。」

 

とのこと。

その通りでした。Aさんも立派な高学年女子。デリケートな問題です。

 

規則が頭に染み付いてしまっていた私は、Aさんの気持ちを「規則」という言葉で無にしてしまうところでした。

 

さらに校長先生は続けます。

 

「チアシードも、おうちの人がAさんのことを思っての行動だよね。それってとても大切なことなんじゃないか」

 

頭に衝撃が走りました。私はチアシードを持ってくることを提案したおうちの人に「それはよくない」と思っていました。

しかし、わが子のことを思っての行動。規則としてはいけないかもしれませんが、親子として大切なことです。子を思う親の愛です。

あやうく私は、この親子との信頼関係を崩してしまうところでした。

 

「規則」は大切かもしれないけれど、まずは相手の気持ちに目を向けなければいけない。

 

自分の中でやれているようでいて、やれていないと強く実感した出来事でした。校長先生みたいに、あたたかく物事を見極められる人になりたいなあ。

 

もしも校長先生に出会っていなければ、「チアシードを持ってくるのではなく、朝食の工夫をしてください。」という冷たい会話で終わっていたことでしょう。

怒りを買っていたかもしれません。私たちの気も知らないで!と。

 

校長先生に出会っていたからこそ、「Aさんの気持ちもおうちの方の気持ちもよくわかります。そのうえで、チアシード以外の別の方法も一緒に考えられませんか」と聞くことができました。おうちの方と、Aさんを支える協力関係をつくることができました。

 

物事の本質を温かく見極め、相手の気持ちに立てる校長先生みたいな人になりたいな。

うちの校長先生は、トットちゃんの校長先生とそっくりだ。

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