勇気の灯

教育、アドラー、読書レビュー。自分も他人も勇気づける。

「できる」が目的になっていないか

 

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音楽会シーズンです。

本日、子ども達に以下のように話しました。

 

「今日の君たちは、金曜日までの君たちに負けている」

 

 

学年練習であまりにも気の抜けた演奏をしていたのです。

リズムの核になるバスマスターとピアノがよそ見しながら弾いている。

それにより、どんどん早くなるテンポ。

演奏が終わるころには、見事にバラバラ…。

音楽会をすぐ近くに控えているのに、です。

 

以前までの子ども達は、曲をひけるようになろうと必死に練習していました。

一生懸命さが伝わってきました。真剣に演奏に取り組んでいました。

しかし、今の子ども達にはそれがない。

慣れに任せたことによるミスの連発です。

 

そうなった一番の要因は、「演奏<できる>ことが目的になっていた」ことだと思います。

練習の成果もあり、楽譜を見ずに演奏できるようになりました。

鍵盤も歌口で吹けるようになりました。努力してきました。

 

しかし、その時点で、「自分はできた」としている人が多いのです。

伸びる人と伸びない人の違いは、目的をどこに置くかだと思っています。

 

演奏「できる」ことが目的であれば、自分ができた時点で終了。

指揮を見なくても、自分が間違えてさえいなければOKという考え方です。

まわりとズレいても、「自分は間違えていない」と言い張る、もしくは「周りが自分からずれている」と感じていることでしょう。

これでは、それ以上に伸びない。そして何より、クラス全体の合奏にならない。

 

伸びる人は、良い演奏を「する」ことが目的になっています。

 

「できる」ことを目的にしている人は、それ以上を目指すことができません。

例えば、甲子園を目指し、出場できて満足しているようなものです。甲子園に出ることが目的ではなく、甲子園で優勝することを目的にしなければ、甲子園で勝つことは難しいでしょう。

オリンピックでも同じ。金メダルを取るつもりでいかなければ、良い結果は獲れません。オリンピックに出場することが目的では表彰台に上がることはできないでしょう。

演奏が「できる」で終わるのではなく、良い演奏を「する」ことを目的に。

 

個人で演奏が「できる」は、クラスがさらに高みにいくための単なるステップ。

そこで満足していては、「合」奏にならない。

それは個人の集まり(群れ)であり、チーム(集団)にはなれない。

 

良い演奏をするために何を意識すればいいかと子ども達に尋ねると、

「歌詞の気持ちを考える」「指揮を見る」「友達の音を聞く」

が出てきました。自分以外の他者に意識が向いています。

 

これを全員で意識する必要がある。

目標を明確にして、みんなで目的に向かうことで群れは集団になる。

まだまだ、上を目指せる子ども達だからこそ。

このまま終わらせるのはもったいない。せっかくここまで来たのだから。

がんばれ!

 

しかしながら、締めすぎず、緩めすぎず、ユーモアを交えながら暖かく。

そんな環境を作っていきたいなあ。