あたまの図書館

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重松清『きみの友だち』

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「友だちってなんだろう」

そんな問いに対して、ヒントを与えてくれる小説です。

 

お話によって主人公が変わり、時間軸も変わります。

長編小説なのに、短編のお話が過去や未来をいったりきたりする感じ。

それなのに、最後しっかりとまとめられている。

気が付けば重松さんの世界に引き込まれていました。

 

この小説で引っかかった点がいくつか。

 

病気で友だちの由香が休み、会えない状況にて。

「寂しくないの?」

「寂しくないよ、別に。」

「…友だちなのに?」「友だちになるときって…その子とずーっと一緒にいたいから、だから、友だちになるんじゃないの?そういう子のことを友だちって言うんじゃないの?それが親友なんじゃないの?」

「わたしは、一緒にいなくても寂しくない相手のこと、友だちって思うけど」

 

ほかにも、

「友だちって…和泉さん、教えてよ、知ってるんでしょ?友だちって、何?」

「知らない」

「だったら、由香ちゃんは?和泉さんの友だちじゃないの?」

「由香は、由香」

「だって…」

「誰のものでもないから、由香は。わたしもそうだし。」

 

なんというか、お互いの人格を尊重しているんですよね。

ひとりの人間として認めて、尊重している。

相手を自分に合わすこともしないし、自分が相手に無理に合わせることもない。

自然体でいる感覚。

みなさんもそうだと思いますが、

友達って自然体でいつまでも一緒に時間を過ごせるなーって思うんです。

変な気とか遣わずに。ながーく、ゆるーく一緒に過ごせる。

 

この小説は、『みんな』に合わせて自分を殺している人物が多く出てきます。

『みんな』の望む自分でいなければ…。

『みんな』の機嫌を損ねないようにしなければ…。

『みんな』が言っているから…。

 

自分を殺してまで繋ぐ関係になんの意味があるのか。

その関係は友達と呼べるのだろうか。

それぞれのお話の主人公たちは苦悩します。

 

 

この小説の題名は、

「友だち」

ではなく

「きみの友だち」

 

思春期の女の子に読んでほしい一冊でした。