あたまの図書館

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吉田新一郎訳『「学びの責任」は誰にあるのか』

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尊敬する岩瀬直樹先生が勧めていた本。読まないわけにはいかない。

日曜日に書店で購入し、そのまま一気読み。久しぶりに読書記録をとりました。

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あくまでも僕の主観に基づいた記録です。

詳しく見ていたらもっともっと細かくなるのだけれども、そこは本を読み返して学ぶことにする。

 

本書では、「責任移行モデル」について、ケータイの例を取り上げて分かりやすく説明してくれている。ざっくりと言うと、こんな感じ。

1、焦点を絞った指導

店員さん→お客さんへの説明

2、教師がガイドする指導

店員さんの説明通りに、お客さんが店員さんの前で実際にケータイを操作する。

3、協働学習

お客さんが店員さんのいないところで、わからない操作を家族や友達に聞く。

4、個別指導

店員さんの手も家族や友達の手も借りずに、自分の力で操作できるようになる。

 

店員さん=教師。お客さん=子供です。

たしかに、自然な学びの形だなあ。

ほかにも、子供のころに自転車を教わったときだってそうだ。

1、焦点を絞った指導

父親→自分への説明

2、教師がガイドする指導

父親の説明通りに、自分が実際に乗る。父親からアドバイスをもらいながら。

3、協働学習

父親がいないところでも乗ってみる。たとえば、母親の前で。

4、個別指導

ついに自分だけの力で運転できるようになる。

 

うんうん。たしかに、この「責任移行モデル」での学びは自然だ。

そして、この1~4の学びの段階は、

相互に行ったり来たりしている。

こう記されていました。そうそう、その通りだよなあ。

できるようになるまでの過程をここまで言語化できるってすごい。

今まで、「グループはこうあらねばならない」と考えている自分がどこかにいた。

もっと自然な感じでいいんだ。

 

本書の中で僕がもっともハッとしたのは、教師がガイドする指導

今までここが疎かになっていたな~と痛感。

 1、焦点を絞った指導 ⇒3、協働学習 ⇒4、個別指導

この流れになっていた。父さんの説明だけ聞いて、いきなり父さんのいないところで乗れと言われたって不安だ。できない人の割合の方が多い。

ガイドすることに、もっと重きを置いてみよう。

 

ちなみに、協同学習と協働学習についても記されていた。

協同学習は、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という概念を大切にしているのに対し、協働学習は、「問題ができるようになること」に重きが置かれている。児童同士の横の繋がりは意識して繋ぎに行かない。だからこそ、教師が前面にガイドを必要としている子のところへいける。イメージとしては、『学び合い』に教師が参加している感じなのかな。でも、その定義の違いはそんなに考え込まなくていいか。大切なのは、教師以外との交流の機会が保障されているかどうか。

 

この本をきっかけに読書家の時間や作家の時間に触れていきたいな。

具体をもっと掴みたい。

でもまずは、インストラクションの技術をもっと高めることが目標。

残り40日ほど。授業技術を高めるぞ。