教師の十ヶ条
『自分にとって必要な十ヶ条』を書けば、自分がどんな人間か見えてくる
私の大好きな松岡修造さんの言葉です(著書『本気になればすべてが変わる』)。
修造さんは日記に書き、毎日十カ条を見ては「大丈夫!」「できる!」と言い聞かせていたそうです。
そこで私も、大好きな修造さんを真似て、自分に足りないところ、もっと伸ばしたいところを書き出した『教師の十ヶ条』を新学期前に書き出していました。
それがこれです。
とくに意識したいのは、一と二ですね。
自分から、より早く!より多く!たくさんの愛と信頼・尊敬・感謝を伝えていきたいと思っています。
しかし、これがなかなかむずかしい!
些細なことに対してイラっとした感情が顔を覗かせます。
実際顔を出すだけならまだしも、言葉に出してしまうこともあります。
これは問題ですよね。
アドラー流に言うと、怒りという感情は「自分の思い通りに相手を動かす」という目的をもったものになります。
つまり、「子どもを思い通りにするために怒る」。
これで上手くいくんでしょうか。
たしかに上手くいく場合もあるかもしれません。
…その場では。
しかし、子どもの将来を見据えたとき、先生に怒られたからやめた。
先生に怒られたからいうことを聞いた。先生に怒られたから…。
こういう風に育ってはほしくないんです。
だって、こういう子は先生がいない場では同じように繰り返しますから。
そうではなく、愛をもって「君には素敵なところがある。先生分かってるよ。」というのを伝えた上で、「この行為はよくない」と伝えてあげる。
そして、その子を信頼して「もう○○くんはやらないと思う。先生はそう信じとる。だって○○くんは□□のときみたいに優しいとこたくさんあるから」と伝えてあげる。
もちろん、その子のいいところは、その子を尊敬して(教師より下の存在として見るのではなく、自分と対等な存在として見る)いないと見つけることはできません。
そして、指導を守ってくれていたら「○○くんありがとう。先生すごくうれしいわ」と感謝を伝える。
こういった指導をしたいものです。
「怒る」と「叱る」は違うという話はよくあがりますね。
愛がなくて自分本位なのが「怒る」
愛があって相手を思いやっているのが「叱る」
まさにその通りだと思います。
私はまだまだ「怒って」しまうことがあります。
日々反省です。