あたまの図書館

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子どもを問題児にしているのは、教師の心

昨日、運動会が終わりました。

昨年は2年生、今年は4年生ということで、新卒二年目にして2回表現運動を主として経験させていただきました。

その中での気づいたことを記述していきます。

 

『子どもを問題児にしているのは教師の心』

 

二年間の表現運動で、このことを強く感じました。

子供は「ダンスが楽しい!」という気もちを強く持っています。

新しい振付を覚えて、曲に合わせて動く瞬間は盛り上がりますね。

そのため、テンションが上がり、教師の言葉が聞けない瞬間があります。

 

それに対して「いちいち喋らない」「次に進めないでしょう」と怒鳴り続けていた一年目。一人でも、ほかの人としゃべっている人がいたら、周囲の先生からも叱責が聞こえていました。学年全体で問題を取り上げていく感覚というか…。

学年主任の先生も厳しい言葉(というか、子供を下に見る言葉「赤ちゃんじゃないんだから」というような発言)が多く、なんというか、嫌な雰囲気でした。私も苦しかったし、もちろん子ども達はもっともっと苦しかったでしょう。反省。

 

二年目の今年は、子供のざわざわをある程度許容していました。

この考え方に至れたのは、今年の学年主任の影響が大きいです。

子どもを叱った後に「まったくも~」と笑顔で包み込む。愛が伝わる学年主任の指導を近くで見ていて、一年目と考え方を変えることができました。

本当に尊敬できる、素晴らしい先生です。

 

そのこともあり、二年目はむしろ、ざわざわしていて話が聞けない子供に「楽しいね~」と声をかけることもあるほどでした。ざわざわしているときに、笑顔で子供たちを見つめ、「ダンスもっともっと楽しみたいから、みんなも話を聞いてくれるとうれしいな」と言い、静かになったら、「ありがとう」。もちろん全員が聞けない瞬間はありますが、聞けない子供に対しイライラする感情は生まれませんでした。むしろ、一部の聞いていない子供たちに注目がいくというよりも、大勢の子どもと一緒に作り上げているなという感覚のほうが強かったです。

 

同じざわざわに対し、心持ちを変えるだけで、こうも変わるのかと実感しました。

 

子供との心の距離があまりにも遠かった一年目。

子供の心に共感していた二年目。

後者のほうが、私も子ども達も、楽しんで行うことができました。

 

何を言うかより、誰が言うか。

子供との心の距離が遠い人の言葉よりも、

子供との心の距離が近い人の言葉の方が、子どもは聞いてくれます。

 

いろいろな教師がいて、いろいろなリーダーシップがあるけれど、

一年目のような、問題を取り上げて指導を繰り返す管理型のリーダーシップは子供も教師も疲れるなあと思います。

もちろん必要なときはあるけれど、たまに出すぐらいがいいんじゃないかなあ。

 

これからは全てにおいて、二年目のように子供の気持ちを受け入れてある程度許容しながら、寄り添う。それでも参加しない子供がいたら、叱った後に「まったくも~」といって笑顔で包み込む。そういう指導をしていきたいです。