あたまの図書館

経験や知識をいつでも索引できるように。あたまの中に自分なりの図書館を創っていきます。誰かの役に立つとうれしい。

合奏にて【リレーションの大切さ】

 

学級づくりにおいて、Q-Uの開発者である河村茂雄さんは「ルール」と「リレーション」が大切だとしています。「リレーション」とは、本音の交流のことです。

学級集団づくりのゼロ段階―学級経営力を高めるQ‐U式学級集団づくり入門

学級集団づくりのゼロ段階―学級経営力を高めるQ‐U式学級集団づくり入門

 

音楽会の練習が上手くいかなくて困っていました。

「立ち振る舞いをかっこよくしよう」と言って、私がその場で指導する。

でも、しばらくすると元に戻ってしまう。

スムーズに弾けていない状態があって、「鍵盤、ここでリズムがずれるから頑張って」と指導する。

でも、本人達の中でリズムが崩れているという自覚が弱いから、なかなか改善しない。

 

まわりからは私が一人で空回りしているように見えていることでしょう。

私自身もそう感じています。

 

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忘れ物をした子どもへ

 

この記事に目を通して下さっている皆様は、どのように指導されていますか。

 

指導方法は実態によりますよね。

叱ってみたり、寄り添ってみたり、保護者に協力を仰いだり…。

いずれにせよ、指導に即効性は求めてはいけない気がします。

即効性を求めると、こちらの心の負担が大きくなるためです。

 

「ああ、またか」「また忘れたのか」

 

この感情が積み重なり、教師も子どももしんどくなると思います。

 

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暖かな心

給食の食缶には最後、余った給食を入れますよね?

私のいる学校では、自分の食器を少量の水で洗い、その洗った水を食缶に捨てることになっています。

ある日、子供が食缶に溜まっている水を見ながら、こんなことを言いました。

 

「先生、チアシードが浮いてるよ」

 

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新卒2年目の私が研究授業に見出した価値

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研究授業に対し、現場では若手が率先して引き受ける空気があるかと思います。

意欲をもち、進んで研究授業を引き受ける方もいれば、流されるままに…という方もいますよね。

 

そんな方々にまずは一言、

おつかれさまです!!!!

 

現場2年目の私も現在、全校研究授業を引き受けています(国語の授業)。

昨年も行い、自分の学びになったので今年も引き受けさせていただきました。

ですが正直、若い体力のある今でなければ体調を壊すような勤務時間を過ごしています…。このままではマズい…。

若手教師の中には、同士もけっこういるのではないでしょうか。

お互い心の体調に気を付けていきましょう(こういうフレーズ、よくかけられるけどどうしようもないですよね笑)

 

さて、引き受けた以上、一生懸命考えに考えた指導案を検討してもらうことでしょう。そして、、、

 

切られる(ズバっと指摘される)!!!

 

さらに、、、

 

自分の考えていた「やりたい授業」から離れていく!!!(こともある)

 

検討してもらうことは本当にありがたいことです。

授業者のために同僚の先生方が多くの時間を使ってくれています。

研究会を通して他の先生方との関係もできてきました。

切られても、愛だと信じて受け止めています。

 

しかし、誰のための研究授業かなと思うのです。

多くの先生方が私のために時間を割いてくれています。

指導案をビシバシ見てくださいます。

ありがたいです。授業もきっと、よくなっていると思います。

先生方の目線からすると。

 

子どもの目線からするとどうなのだろう。

一斉指導の形式をした授業を勧められます。

他者との交流の時間が5分もない授業です。

「学び合う」ことに重点が置かれている研究テーマなのに、です。

 

一斉指導の中で、「教師が子どもの意見を結びつけることが大事」と指導されます。

その通りです。大事なのは分かります。

ですが一斉指導の中で教師が介入して関わらせることには限界があると思っています。

ある子が意見を言っているときは参加するけれど、ほかの子が言っているときには参加していない児童が必ずいるはずです。もぐらたたきのようなイメージです。

 

子どもの学びに向かう本来の姿って、全員が座って前を向いて、流れ通りに進行していくものではなく、友達と話し合いながら、ときには関係ないことに話題がそれたりもしながら、考えて、学んで、新たな発見をしていくものだと思うのです。

「Aさんの意見と同じ人?」「どこが同じだった?」「じゃあ次はこの意見についてどうかな?」という流れで座ったまま何十分もすることに違和感を覚えてしまうのです。

 

どうも、全員が学びを楽しんでいるイメージがわかないのです。

 

 

スッキリしない状態で研究授業を迎えようとしています。

しかし、研究授業で最も価値があるのは、

クラスの子ども達が、先生もチャレンジしているんだ!と感じることにあると思います。

子ども達に、先生がチャレンジしている姿を見せる!

私の姿から子ども達に何か伝わったらいいなと考えると、モチベーションが上がります。

 

研究授業で悩んでいる同士の皆様

授業内容だけではなく、教師の姿からも子ども達に影響があると思います。

どれほど研究授業が思い通りにいかなくても、

教師がチャレンジしている時点でものすごく価値があると思います!

研究会を重ねていく中で、自分の「本当に大切にしたいこと」を見失わないように頑張りましょう。

 

この悩みも、すべては私の勉強不足。

悩みを記述しておき、いつか伝える側になったときのために書き出しておきます。

自分が伝える側になったときは、若手にわかりやすく愛を伝えたいなあ。

 

子どもを問題児にしているのは、教師の心

昨日、運動会が終わりました。

昨年は2年生、今年は4年生ということで、新卒二年目にして2回表現運動を主として経験させていただきました。

その中での気づいたことを記述していきます。

 

『子どもを問題児にしているのは教師の心』

 

二年間の表現運動で、このことを強く感じました。

子供は「ダンスが楽しい!」という気もちを強く持っています。

新しい振付を覚えて、曲に合わせて動く瞬間は盛り上がりますね。

そのため、テンションが上がり、教師の言葉が聞けない瞬間があります。

 

それに対して「いちいち喋らない」「次に進めないでしょう」と怒鳴り続けていた一年目。一人でも、ほかの人としゃべっている人がいたら、周囲の先生からも叱責が聞こえていました。学年全体で問題を取り上げていく感覚というか…。

学年主任の先生も厳しい言葉(というか、子供を下に見る言葉「赤ちゃんじゃないんだから」というような発言)が多く、なんというか、嫌な雰囲気でした。私も苦しかったし、もちろん子ども達はもっともっと苦しかったでしょう。反省。

 

二年目の今年は、子供のざわざわをある程度許容していました。

この考え方に至れたのは、今年の学年主任の影響が大きいです。

子どもを叱った後に「まったくも~」と笑顔で包み込む。愛が伝わる学年主任の指導を近くで見ていて、一年目と考え方を変えることができました。

本当に尊敬できる、素晴らしい先生です。

 

そのこともあり、二年目はむしろ、ざわざわしていて話が聞けない子供に「楽しいね~」と声をかけることもあるほどでした。ざわざわしているときに、笑顔で子供たちを見つめ、「ダンスもっともっと楽しみたいから、みんなも話を聞いてくれるとうれしいな」と言い、静かになったら、「ありがとう」。もちろん全員が聞けない瞬間はありますが、聞けない子供に対しイライラする感情は生まれませんでした。むしろ、一部の聞いていない子供たちに注目がいくというよりも、大勢の子どもと一緒に作り上げているなという感覚のほうが強かったです。

 

同じざわざわに対し、心持ちを変えるだけで、こうも変わるのかと実感しました。

 

子供との心の距離があまりにも遠かった一年目。

子供の心に共感していた二年目。

後者のほうが、私も子ども達も、楽しんで行うことができました。

 

何を言うかより、誰が言うか。

子供との心の距離が遠い人の言葉よりも、

子供との心の距離が近い人の言葉の方が、子どもは聞いてくれます。

 

いろいろな教師がいて、いろいろなリーダーシップがあるけれど、

一年目のような、問題を取り上げて指導を繰り返す管理型のリーダーシップは子供も教師も疲れるなあと思います。

もちろん必要なときはあるけれど、たまに出すぐらいがいいんじゃないかなあ。

 

これからは全てにおいて、二年目のように子供の気持ちを受け入れてある程度許容しながら、寄り添う。それでも参加しない子供がいたら、叱った後に「まったくも~」といって笑顔で包み込む。そういう指導をしていきたいです。

重松清『ファミレス』~金平糖と人生~

僕の好きな著者、重松清さんの『ファミレス』を読みました。

 

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小説の大まかな内容としては、「オヤジの友情」「夫婦関係」「FA宣言」「食の魅力」「家族の形」「人生」などなど、様々なエッセンスが詰まった一冊になっております。

読む人によって、引っかかる場所が変わるんじゃないかな。

 

その中でも、僕の心に残る素敵な場面があったので、ここで紹介したいと思います。

タイトルにもあるように、金平糖のお話です。

 

 

まず、『ファミレス下』の109ページ。

金平糖の作り方が書いてあります。

ざっと言うとこんな感じ。

     ↓

①けしの実、ザラメ、もち米を細かく砕いて粒にしたものが「核」になる。

糖蜜をかける。

③斜めになっている窯の中で、上へ下へと動かす。

※延々と②、③を繰り返す。

これにより、「核」はツノを作りながら少しずつ大きくなる。

ツノが目に見えるようになるまでに数日、直径1㎝の大きさを作るのには2週間もかかる。

 

そして、金平糖の説明が終わった後、登場人物の桜子さん(妻)が言うんです。

「人間も金平糖と同じように、一人ひとりにそれぞれ「核」があると思うの。そのひとの始まりというか、原点みたいなもの。…あなたの「核」は何?」

 

これを受けた登場人物、一博(夫)は絶句してしまいます。

彼はカッコよさを追求し、仕事一筋、スタイリッシュであることにこだわっていました。一博はなんとか声を絞り出し、桜子の質問に対してこう答えます。

「…仕事は、だれにも負けない」

 

ですが、

 

「悪いけど、それは人生の「核」じゃないと思う。…ごめん」

と、バッサリ切られてしまいます。

 

この場面には考えさせられました。

たしかに、仕事は「人生」の「核」ではないな、と。

核に後からかけられる糖蜜だよなあ、と。

じゃあ、「核」ってなんだろう…。

 

129ページで一博の「核」が分かりました。

 

 

一博の「核」は、

子供の頃に商店街でよく食べていた「ハムカツ」と「レバカツ」。

 

 

そして、「核」についてこんなことが書かれていました。

 

「核」とは、「あの頃があるから、いまがある」と思わせてくれるもの。

いまの自分が幸せかどうかは、じつは「今の自分」だけでは決められないのではないか。「いままで支えてきた自分」すなわち、過去から現在の積み重ねが、いまの自分を支え、幸せを感じさせてくれる。その積み重ねの一番奥深くにある、金平糖のけしの実のような存在が「核」なのだ。

 

さらに、172ページ。

 

けしの実の「核」に時間をかけて蜜をまぶすことで、金平糖ができあがるように、

ひとの人生だって、少年時代の「核」にオトナになってからの日々が年輪のように積み重なって、いまの自分をかたちづくっている。問題は、その自分の人生の形なのだ。

 

 

たしかに!と思いました。

そして、すべての経験は「核」に塗られていく糖蜜。塗り方も、塗る量も、どんな糖蜜を塗るのかも、自分で選べる。そうして、自分の人生がかたちづくられていく。

 

 

 

じゃあ、自分の「核」はなんだろう。自分の人生はどんな形をしていくんだろう?

考えてみたとき、自分の「核」は、

「グラウンドで流した汗」だと思いました。

 

 

たくさんの努力を重ねて、必死に頑張っていた子供時代。

当時の頑張りを無駄にしたくない。当時の思いを忘れたくない。

子供時代の自分が、今の自分を見たときに、「すげえじゃん」ってなるように。

子供時代の自分も、一緒に幸せを感じられるように。

子供時代の自分が、「えー」と思うようなやり方で、幸せを感じないように。

自分の「核」を忘れずに。

 

 

みなさんの「核」は何ですか?